風船爆弾との縁

今年度総会の第2部基調講演は渥美右桜左桜こと渥美雅子氏の講談「風船爆弾」と談話でした。渥美さん曰く「そもそも風船爆弾とはどんなものか。和紙をこんにゃくのりで貼り合わせて乾燥し大きな風船を作り、その表面に苛性ソーダを塗った気球のこと」。朝早くから夜遅くまで、その作業をしていたのが当時の女学生たち。そういえば、「徹子の部屋」の終戦特集で、あの女優の久我美子さんも、風船爆弾を作っていたと話していました。この風船爆弾に直径10メートル総重量200キログラム、中に爆弾1発と焼夷弾2発を詰めて、アメリカ迄偏西風に乗せて飛ばしたとか。

後日、渥美さんは千葉県一宮町の「風船爆弾打ち上げ基地」を訪ね、その時偶然地元のタクシー運転手から、やはり風船爆弾造りに母親が駆り出されたことを聞いたそうです。

一宮町と言えば、木村の父が定年退職後居を構えた土地です。そこから少し歩くと太平洋の荒波が打ち寄せる砂浜があり、そんな荒涼とした所に風船爆弾の基地があったなんて、私はつゆ知らず、見たこともありませんでした。今はわずか10坪余りの土地に碑だけがぽつんと残っているそうです。

「パンプキン爆弾」の存在

ところが終戦の日に、私がかぼちゃを煮ていたら、テレビで「パンプキン爆弾」のことを、小学5年生くらいの女の子が誰かと話しているのを耳にしました。夏休みの自由研究か、その女の子は絵本『パンプキン!模擬原爆の夏』(作 令丈ヒロ子 ,絵 宮尾和孝)を探していたのです。ネットで調べると「パンプキン爆弾(かぼちゃ爆弾)は、第二次世界大戦末期の1945年7月から8月にかけて、アメリカ軍が開発、使用した原子爆弾の模擬爆弾(通称・模擬原爆)のことです。長崎に投下された原爆「ファットマン」と同型・同重量(長さ約.3m、重さ約4.5トン)で作られ、形や橙黄色(黄色)に塗られた色がかぼちゃに似ていることからそう呼ばれました」とありました。なんとアメリカはパンプキン爆弾で原爆投下の準備をしていたのです。風船爆弾とパンプキン爆弾、彼我の違い。日本の無力さ、無知に、私は愕然としました。

その後父たちも亡くなり、今は家や土地もありませんが、改めて一宮の風船爆弾基地の跡を訪ねてみたいと思っています。そして無謀な戦争の痕跡を確かめ、今ある平和を感謝したいと思います。


さて、今年の全国大会in東京は45回目。この大会旗は樋口恵子さんの時代から毎回大会フィナーレで、次の開催地の委員に手渡されてきました。いわば平和のバトンです。時代がどんなに変わろうとこれからも引き継がれることを切に願っております。
皆さまもこの大会旗手渡しを、会場でぜひ目撃してください。